音と言の結晶

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No  54

創作の目的 - パクりか偶然の一致か

 作曲をしたことがない人に知っていて欲しいこと。パクろうとしてパクる作り手は少数で、むしろ多くの人は自分の書いた曲が、他者の手による既存のものに似ていないかにおびえながら作曲しています。そして、似ていることに気付いたときは激しくショックを受けます。

 先ほどtwitterに投稿したつぶやきです。2時間で650を越えるRTとたくさんのfav.と同意をいただきました。ぼくと似たような考えを持っている方がたくさんいらっしゃったようです。その多くは作曲に限らずきっとなんらかの創作活動をなさっている方々だと思います。
 
 一過性の発言にしたくないので、ここでしっかりまとめて自分の意見を残そうと思います。

 作曲に限らず、意図せず既存の作品と似ているものが生まれるかもしれない。聞いたことも見たこともない作品と似たものを偶然生み出してしまうかもしれない。

「パクりだ」

 そう思う人もいるでしょう。偶然の一致だとしても、「盗作していない」ことを証明するのは不可能と言ってもいいでしょう。悪魔の証明という奴です。冒頭に書いたように、これが創り手のもっとも恐れていることの一つなのです。
 
 音楽に限った話をすると、1オクターヴの中には12の音があって、1つの調で使われる音はせいぜい8つです。拍子は大抵の曲が3拍子か4拍子、あるいはそれらを組み合わせたもの。人が心地よいと感じるといわれる和音は多くありませんし、その組み合わせ(いわゆるコード進行)は流行の曲を聴けば分かるようにほとんど同じものが使いまわされています。
 そしてこの世に溢れる何百万何千万、何億あるかも知れない楽曲数。

 何にも似ていないものを創ることがどれほど難しいか。

 似たものを創りたい訳じゃない。独創性溢れるものを作りたい。そう思っている作り手に対して「パクりだ」と言ってしまうのは死人に鞭打つような行為です。
 確かに盗作する人はいます。「パクり」を公言するアーティストもいます。「インスパイア」という言葉で逃げるケースもあります。でも、そうじゃない多くの作り手は限られた可能性の中で自分のオリジナリティを発揮することに必死なのだとぼくは思っています。
 似ているということが悪であるというのなら、「ジャンル」というくくりすらもいずれは否定することになるでしょう。 

 そもそも何のために創作をするのか。それは人によって様々だと思います。自己表現のため、誰かのため、名声のため、お金のため。これ以外にもたくさんあることでしょう。

 ここからは私事となりますが、そうした中で創作におけるぼくの目的は「自己満足」がもっとも大きいところです。本当はもっと複雑なのですが、それらを含めて一番単純に言い表せるのがこの言葉です。
 お金のためにやっている訳ではないし、誰かのためでも名声のためでもない。だったらもっと宣伝をしたりもっともっと表に出て活動をしているでしょう

 ぼくは自分で創ったものを何度も見たり読んだり聴いたりします。それは自分にとって面白いと思って創ったものだから。自分が面白いと思えないものを残そうとは思いません。最低限自分にとって良いと思えるものでなくては創作の意味がない。

 むしろ、そう感じたものを残すことがぼくにとっての創作の目的なのです(じゃあ表に出さなければいいじゃないかと思う人もいらっしゃると思いますが、そこはまた別問題で、自分が良いと思ったものは人に薦めたくなるものでして)


 話がごちゃごちゃしてきましたがそろそろまとめに。
 
 パクりと糾弾するのは簡単なことです。糾弾する側は何の罪も犯してないのですから。だけど、疑惑を掛けられる側には自分の無罪を証明する術はありません。実際に盗作をしていることがあるかもしれませんが、このことを考慮して、慎重に行動して欲しい、そう思います。

 どこにもないもの、だれも作ったことがないものを生み出すのが創作の目的でしょうか?

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