音と言の結晶

今日もきっと不貞寝日和
No 

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No  132

12周年

 本日でネットに音楽を投稿し始めて12周年を迎えました。日々応援いただき、ありがとうございます。

 12年といえば、小学校に入学してから高校を卒業するまでの時間に相当しますが、それだけの期間ひとつのことを続けたら凄いことになるかといえば、そうとも限らないらしく、ぼくは今日もだらだらと隙を見つけては片手間で音楽を書いています。

 これまでの間に、30を超える同人のコンピレーションアルバムに参加したり、商業流通のコンピレーションに入ったり、音楽雑誌に楽譜が載ったりもしましたが、これらの経験から言えることは、少なくとも自分の場合は、同じことを続けているだけではだめだったということです。
 同人コンピに誘われるようになったのは自分から望んで参加していって名前を売ったからだし、商業コンピも雑誌掲載もニコニコ動画で動画投稿を始めたから。
 そして、それらの裏にあるのは、より良い音、より良い曲を書くために投資したことでした。

 4年前の今頃は、作曲活動を辞めるかどうかを本気で考えていた時期で、その時はSC-88Proメインで作曲をしていて、DAWの知識もほとんど無く、限界を感じていました。
 振り返れば、2007年から4年間、ほぼ停滞していたことになります。周りには、初音ミクの登場でDTMが再び活気付いていたにも拘わらず。
 その後、どういうわけかやる気を取り戻したぼくは、Cubaseを買い、プラグインを買い、作曲環境を再構築していったのでした。そして、前述の活動成果に繋がる訳です。結局、同じことを同じ環境で同じように続けていたことによる停滞が原因だったのでした。

 その停滞期に、もうちょっと投資をしたり、周りを見ていれば、今はもっと面白いことになっていたのかもしれないですが、今さら悔やんでもしょうがないことだと、最近はようやく思えるようなりました。その時期に勉強したこと、読んだ本、得た経験は別の形で創作に生きてきているのですから。

 この12年間で付き合った範囲でも、活動を辞めていった方が少なくないです。きっと、ぼくは辞めないし、辞めると宣言することはないでしょう。今より寡作になっても、思い出したときにきっと作るし、作らなくなるのはおそらく自分が自分でなくなってしまったときでしょう。

 作ることが好きだからこそ、面倒くさがりなぼくでも活動を続けて来られましたが、それだけではなく、反応がもらえたから今も続けているのだと思います。
 自分の作品を好きだと言ってくれる人はとてもありがたい存在です。基本的に自分の為に続けている創作活動ですが、そういう人たちを喜ばせられることができれば、より嬉しいことです。

 生きているうちはまだまだ作ります。今後とも、よろしくお願いします。

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No  118

ユフの日とかHDDとか

 8月2日はユフの日ってことで、1曲mixしました。半月ほど前に。





 地味にカラオケmixのお仕事は初めてだったり。

 ミノガシラでおなじみのみのがしさらんさんが調声したユフさんです。

 表現力が凄いことになってます。ユフさんまじ天使。

 くろーじさんでおなじみのkagatiさんがイラストと動画担当です。

 教室が凄いことになってます。ユフさんまじ天使。



===============

 そういえば、このmixを終えたあと、音源のオーディオデータなどを入れていた外付けHDDが死にました。2年しか持ちませんでした。締切10日前の出来事でした。焦りました。

 T-rackS CSを入れてRestoreしてCubaseを起動したら、なかなか起動しなくて、なにやらT-rackSの問題なのかなと思ったら、どうやら外付けHDDの情報を読みに行って失敗していた模様で。

 もうね、ケースから出して冷凍庫にぶち込んだりして、吸い出せるデータは吸い出して、新しいHDDを買って音源の入れ直しです。そんなに量があるわけではないにせよ、DVD20枚相当の再インストールは骨と心が折れました。

 新しい外付けHDDはファン内蔵です。どれほどの効果があるかは分かりませんが、常時起動しているので少しはましかも。

 
 USB2.0で繋いでるので、BFD2なんかを書き出すときはRAMに最大限読込ませてるわけですが、それだと作業も捗らないしRAMも足りなくなるので、そろそろ中にSATAで繋いだHDDを増設したいところ。

 ……って思ってた矢先にバックアップ兼音源保存HDDが死ぬっていう。バックアップ失うのは怖いから取り急ぎすぐ繋げる外付けを買ったけれど……。

 DTMやるなら、システム用、プロジェクト用、音源用、バックアップ用のHDDをそれぞれ分けるべきなのかもしれないですね。


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No  117

知識と思い出

 曲作ってます。それはもうモリモリと。

 嘘です。ちびちびと作ってます。
 明日にはこのBlogのトップに「1ヶ月更新してないから広告貼らせてもらうね!」を意味するバナーがでかでかと表示されるであろうから、今日も今日とて中身のないエントリを。

 1ヶ月ってあっという間に過ぎていくんですけど、人間の記憶にとってはけっこう長い時間なのかもしれません。

 たとえば、英単語を覚えるとしましょう。単語帳の最初の100個を1日で覚えられる人っていうのはそういないと思います。100単語覚えようと思ったら、1日10個覚えるのを10日続けたり、散歩進んで二歩下がる感覚で単語を何回も覚えるようにすると思います。そうやって、繰り返したり、他のことと関連づけしたりで記憶の結びつきを強くしていくのだと、だいたいの参考書や勉強の本にも書かれていると思います。

 なんでも、知識として保存される記憶と、思い出として保存される記憶は、それらが保存される脳の領域が違うと聞いたことがあります。

 どこまでが知識でどこからが思い出となるのか、その境界線は判然としませんが、成程確かに同じ時期に知ったことや経験したことでも、片方は覚えていたり、もう片方は忘れていたりということがあります。それはただ単に印象の強い方が残っているのかもしれませんし、知らず知らずのうちに反復して記憶の結びつきが強くなっているのかもしれません。
 
 似通った情報の混線というものも考えられます。ぼくは昔から思い出の記憶に関しては自信がありました。いつ、どこで、だれと、どんなことを話したのか。そういったことを、他の当事者の記憶は曖昧なのに、ぼく自身は鮮明に覚えているということがいくつかありました。

 ところが、二十歳を過ぎたころからその記憶力にも衰えが見られるようになりました。twitterや大学のサークル、ゼミなどで、たくさんの人と似たような話題について触れる機会が増え、それらのエピソードが記憶の中で混線するようになったせいもあると思います。

 かくして、かつてほど記憶に自信が無くなったいま、メモ帳を持ち歩いて気になった出来事を記録するようになりました。たとえば1ヶ月前何があったかを調べるのに、真っ先に参照するのはtwitterのログなどだったりするのですが、オフラインで起こった大事なことをtwitterに書くことはあまりないので、そういった時にこのメモ帳が活躍します。

 さて、大事なことといえどメモに残したくないこともあります。
 それはパスワードです。
 1ヶ月前にログインしたはずのこのBlogのパスワードを思い出すのに小一時間悩んだとかなんとか。
 ほら、複数のパスワード持ってると各アカウントとの対応がですね、混線してですね。

 パスワードってたぶん知識記憶なんでしょうか。そっちも衰えてきたのかなぁ。


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No  54

創作の目的 - パクりか偶然の一致か

 作曲をしたことがない人に知っていて欲しいこと。パクろうとしてパクる作り手は少数で、むしろ多くの人は自分の書いた曲が、他者の手による既存のものに似ていないかにおびえながら作曲しています。そして、似ていることに気付いたときは激しくショックを受けます。

 先ほどtwitterに投稿したつぶやきです。2時間で650を越えるRTとたくさんのfav.と同意をいただきました。ぼくと似たような考えを持っている方がたくさんいらっしゃったようです。その多くは作曲に限らずきっとなんらかの創作活動をなさっている方々だと思います。
 
 一過性の発言にしたくないので、ここでしっかりまとめて自分の意見を残そうと思います。

 作曲に限らず、意図せず既存の作品と似ているものが生まれるかもしれない。聞いたことも見たこともない作品と似たものを偶然生み出してしまうかもしれない。

「パクりだ」

 そう思う人もいるでしょう。偶然の一致だとしても、「盗作していない」ことを証明するのは不可能と言ってもいいでしょう。悪魔の証明という奴です。冒頭に書いたように、これが創り手のもっとも恐れていることの一つなのです。
 
 音楽に限った話をすると、1オクターヴの中には12の音があって、1つの調で使われる音はせいぜい8つです。拍子は大抵の曲が3拍子か4拍子、あるいはそれらを組み合わせたもの。人が心地よいと感じるといわれる和音は多くありませんし、その組み合わせ(いわゆるコード進行)は流行の曲を聴けば分かるようにほとんど同じものが使いまわされています。
 そしてこの世に溢れる何百万何千万、何億あるかも知れない楽曲数。

 何にも似ていないものを創ることがどれほど難しいか。

 似たものを創りたい訳じゃない。独創性溢れるものを作りたい。そう思っている作り手に対して「パクりだ」と言ってしまうのは死人に鞭打つような行為です。
 確かに盗作する人はいます。「パクり」を公言するアーティストもいます。「インスパイア」という言葉で逃げるケースもあります。でも、そうじゃない多くの作り手は限られた可能性の中で自分のオリジナリティを発揮することに必死なのだとぼくは思っています。
 似ているということが悪であるというのなら、「ジャンル」というくくりすらもいずれは否定することになるでしょう。 

 そもそも何のために創作をするのか。それは人によって様々だと思います。自己表現のため、誰かのため、名声のため、お金のため。これ以外にもたくさんあることでしょう。

 ここからは私事となりますが、そうした中で創作におけるぼくの目的は「自己満足」がもっとも大きいところです。本当はもっと複雑なのですが、それらを含めて一番単純に言い表せるのがこの言葉です。
 お金のためにやっている訳ではないし、誰かのためでも名声のためでもない。だったらもっと宣伝をしたりもっともっと表に出て活動をしているでしょう

 ぼくは自分で創ったものを何度も見たり読んだり聴いたりします。それは自分にとって面白いと思って創ったものだから。自分が面白いと思えないものを残そうとは思いません。最低限自分にとって良いと思えるものでなくては創作の意味がない。

 むしろ、そう感じたものを残すことがぼくにとっての創作の目的なのです(じゃあ表に出さなければいいじゃないかと思う人もいらっしゃると思いますが、そこはまた別問題で、自分が良いと思ったものは人に薦めたくなるものでして)


 話がごちゃごちゃしてきましたがそろそろまとめに。
 
 パクりと糾弾するのは簡単なことです。糾弾する側は何の罪も犯してないのですから。だけど、疑惑を掛けられる側には自分の無罪を証明する術はありません。実際に盗作をしていることがあるかもしれませんが、このことを考慮して、慎重に行動して欲しい、そう思います。

 どこにもないもの、だれも作ったことがないものを生み出すのが創作の目的でしょうか?


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